COLUMN

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本人選手奮闘記

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本人選手奮闘記

田渡凌選手の独占インタビュー

日本だけでなく世界のバスケットボールを長年見続けてきたNBAライター宮地陽子さんの海外日本人選手奮闘記。第3回は、「自分の(究極の)目標は、海外の選手に勝つこと。100%、Bリーグに行きます」と宣言し、この5月に大学を卒業する田渡凌選手の独占インタビューをお送りします。(文・写真/宮地陽子)

田渡凌が京北高校を出て、アメリカに渡ったのは今から5年前。当時の田渡は、バスケットボールの本場、アメリカでプレーすることにこだわり、日本の大学への進学は一切考えていなかった。 それから5年たち、その間に短大(オーロン大)とNCAAディビジョンⅡの大学(ドミニカン大)で計4年プレーした彼は、今年5月に大学を卒業する。卒業後の進路について、以前は海外にこだわり続けたいと言っていたのだが、ここにきて少し方向転換。まずは日本に戻り、Bリーグのチームでプレーしたいという。それもまた、先を見据えてのこと。根っこのところでは、彼の考えは5年前に日本を出てきたときと何も変わっていない。
田渡にとって、アメリカで過ごした5年はどんな年月で、何を学んだのだろうか。そして、海外にこだわっていた彼が今、日本に戻ることを決めた理由は何なのだろうか──。

田渡凌に、アメリカでの5年間で一番学んだことは何だったかと尋ねると、間髪を入れずに「リーダーシップですね」と返ってきた。

「日本にいたときはポイントガードと言っても、プレーしているだけというイメージがあった。でも、アメリカのコーチたちは『この選手はチームをリードできるか』ということを知りたがる。プレーでも、ボーカル(言葉)でもリードできるか。実際、いいポイントガードと試合をすると、そういう選手はチームをプレーでも精神的にもリードしている。自分でも、どれだけこのチームをまとめられて、いい方向に持って行けるかというのを意識します。キャプテンだからということもあるし、ガードでもあるからですけれど、それがバスケをやっているうえで一番やりがいがあることだとも思う。だから、僕がこの5年で一番学んだことはリーダーシップだと思います」

田渡は今シーズン、キャプテンの一人を任されていた。外国のチームで、母国語以外でチームを率いるのは簡単なことではないようにも思えるが、田渡にとってはごく自然なことだった。何しろ日本でも、短大でも、これまで所属してきたすべてのチームでキャプテンを経験してきた。
ドミニカン大のブッカー・ハリス・ヘッドコーチによると、田渡は最初に大学を訪れたときからすぐにチームメイトや生徒たちと仲良くなり、みんなの人気者で、その様子を見た時からキャプテンに適任だと思っていたという。チームで活動を始めると、試合以外でもチームメイトたちといっしょに過ごし、率先して自主練習する姿があった。それも、自分だけでやるのではなく、チームメイトも誘って練習していたので、練習後に残って自主練習することが当たり前という雰囲気が作られてきたのだという。
「彼はこのチームにリーダーシップ、エナジー、そしてタフさをもたらしてくれた。それに毎日の練習を見ればわかるのだけれど、バスケットボールへの愛情も感じる。(英語が母国語でなくても)彼の持っている資質を考えると、彼がリーダーであることはチームにとってプラスになると考えたんだ」とブッカーHCは言う。

田渡のアメリカでの5年間は、決してすべてが順調だったわけではなかった。むしろ、渡米して最初に入るはずだったプレップスクールは学校の都合で入れなくなり一年浪人。ディビジョンⅠの大学でプレーするという留学当初の目標も叶わず、チームとして勝負の年だった今シーズンはプレイオフにも出られずに終わった。
それでも、その時々で自分のできる努力はすべてして、岐路に立つたびに一番いい道を選んできたという自負はある。だから5年前にアメリカに出てきたこと、ここまで自分がやってきたことに後悔はないという。

「どこに行っても、成長するかしないかは自分次第だと思っているんで、そういう環境の中で、自分はいつもベストで、自分がやれる限りのことをやってきた。どこに行っても、自分のベストの力を出して、自分のベストの努力をすることで、自分の一番行きたいところにつながっていくと思っているので、後悔はしていないです」

卒業後の進路について聞くと、「100%、Bリーグに行きます」という答えが返ってきた。これまで海外にこだわってきた彼が、迷いもなく断言したことが意外にも思えたが、その理由を聞くと納得だった。

「すぐにでも日本代表に入りたい。そう考えたときに、日本のリーグでプレーしたほうが、コーチの前でプレーできるチャンスがいっぱいあるし、呼ばれる可能性も高いかなと思った。だから、帰ります。
(アメリカにいる間に代表に呼んでもらえなかったことは)正直言ってショックでした。と言っても、しょうがないですよね。(渡邊)雄太みたいに長身で才能もあれば、日本にもあまりいないから呼んでもらえるけれど、ガードはいっぱいいる。それは、自分の実力が足りなかったからだと思うんですけれど、(実力を)証明するためにも…。あ、それが(今、帰国する)一番の目的かもしれないですね。(日本でプレーして)自分がやってきたことを見せて、これだけできるんだぞっていうのを証明したいです。
そして、2020年のオリンピックに出られるにしろ、出られないにしろ、2020年までやったら海外のリーグに出て、どこかで活躍したいと思います。今、こうやって英語でリード力っていうのがついたと思うし、それを使いたい。バスケやっている時は、日本語より英語で喋っているほうがやりやすいんで、そういうのを使えるようなバスケをしたいですね」

実のところ、日本代表も選ばれさえすれば満足というわけでもいという。入ればいいということなら、高校卒業後に日本の大学に進んでいたほうが代表には近づいていたかもしれない。アメリカに出てきてよかったと思えるのは、それだけでは本当に目標としていることに近づくことはできなかったからだ。

「今、日本の代表に呼ばれるのが目標って言っているんですけれど、それは(国際大会が)海外の選手と戦える場でもあるからなんです。自分の(究極の)目標は、海外の選手に勝つこと。日本のガードがアジアで一番になれて、世界のガードと戦えるっていうようになること。
こっち(アメリカ)にいる間に、いろんな国の選手と戦った。アメリカはもちろんだけど、オーストラリアとかスペインとか、数えきれないぐらいの選手とやって、何人かは(その国の)代表の選手とかもいた。そういう経験も積み、その中で自分はやれていたと思う。それは日本の大学にいて、代表に入ったというだけだったら経験できないことじゃないですか。身体の使い方や、ディフェンスの間合いなども、たぶんわからなかったこと。こっちに来て、5年間バスケをしたということは、日本の大学に行って、代表に普通に入ったっていうことよりは自分は価値があることだと思っています」