COLUMN

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本人選手奮闘記

~宮地陽子のGO FOR 2020~海外日本人選手奮闘記

池松ほのか Going My Way

日本だけでなく世界のバスケットボールを長年見続けてきたライター宮地陽子さんの海外日本人選手奮闘記。第6回は「厳しいこともあったが、それでもアメリカでバスケットができる楽しさがすべてを上回った」と語る池松ほのか選手のインタビューと共にお送りいたします。(文・写真 宮地陽子)

 試合前のウォームアップからロッカールームに戻った池松ほのか(ロバートモリス大)は、ホワイトボードに自分の名前が書かれているのを見て、目を疑った。
 「マジ? スターター? ワオ!」

 ホワイトボードに書かれていたのは、その日(去年11月11日)のシーズン開幕戦のスターティング・ラインナップだった。
 日本から留学してきたばかりの1年生選手が、いきなりスターターに抜擢されたのだ。しかも、初戦の相手は強豪ミシガンステイト大。
 「(スターターだとわかってからは)もうやるしかないって思ったんで、ドキドキしたけれど、ワクワクしました」

 池松が突然のスターター抜擢に驚いたように、日本のバスケットボール・ファンにとっては、突然、NCAAディビジョンI(D1)のロスターに登場した池松の存在自体が驚きだった。
 何しろ、その時点では「池松ほのか」と検索しても、出てくるのは、3×3の大会でU18熊本代表として出場したときの記録だけ。ほぼ無名に近い選手がいきなりアメリカの、NCAAディビジョンIの舞台に現れたのだ。
 「世間の人にしたら『誰だよ、お前』っていう感じだと思います」と池松も言う。
 「自分がそんな舞台に立っているという感覚もないし、ただ、大好きなバスケットをしてきたら、ここにたどり着いた、みたいな」

 熊本育ちの池松は3人兄弟の末っ子。4歳上の兄がバスケットボールをやっていて、小さいときから兄の試合や練習を見るのが大好きだったという。

 小学校3年のときに、自分もクラブチーム、「熊本レッドベアーズ(現トルネードアカデミー熊本)」に入ってミニバスを始めた。
 白川中学、そして国府高校で部活にも入ったが、高校2年のインターハイ予選が終わったときに部活を辞め、熊本レッドベアーズの活動に専念した。
 クラブチームのほうが楽しく、自分にあっていると感じたのだ。
 「アメリカに近い感じで褒めて伸ばすところで、好き放題やらせてくれて、自分が『ここでやらなきゃだめだ』と気づいて、(必要なことを)取りに行くような感じ。すごく育ててもらった」と、クラブチームが楽しかった理由を振り返る。

 そもそも本場のアメリカのバスケットボールを知ったのも、クラブチームが主催していたシアトルでのキャンプが最初だった。
 中学1年の春に参加し、楽しかったので中学2年の夏にも参加した。その経験から、アメリカに留学したいと思うようになった。

 高校を卒業し、アメリカ留学に向けて本格的に準備を始めようとしたとき、NCAAディビジョンIのロバートモリス大の森田麻文アシスタント・コーチ(AC)から声がかかった。急にガードのポジションに空きができたという連絡だった。
 偶然から生まれたチャンスだったが、この時、池松が選ばれた鍵となったことがいくつかあった。

 高校の成績がよかったため、NCAAや大学の基準となる成績をクリアできそうだったことがひとつ。
 またロバートモリス大での森田ACの実績から、日本人選手なら全力で努力し、敬意をもってプレーしてくれるだろうと認められていたことがひとつ。
 またバスケットボールの技術面では、アメリカでは女子選手でも常識となっているワンハンドシュートをすでに身につけていたことも大きかった。

 チャーリー・ブスカリア・ヘッドコーチ(HC)も、「すぐにインパクトを出せる選手を探していたから、ワンハンドのシュートの基本を身につけていて、シュートを大きく改造しなくてもいい選手だったということは大きかった」と言う。
 当時のチームの事情で即戦力を求めていたため、大学に入ってからシュート・フォームを変えて、慣れるのを待つ余裕がなかったのだ。

 実は当時から熊本レッドベアーズは世界基準を目標に掲げるクラブチームで、女子でも全員がワンハンドシュートを教わり、打っていた。
 池松も、小学6年の頃からワンハンドシュートを打っており、「それが当たり前っていう感じです」と言う。  逆に、日本式の両手シュートなどには抵抗を感じていたという。

 「日本ではここ(頭の上)から打てと言われたんです。意味わからない。そういうときは、身体が反抗していました」

 あくまで“ゴーイング・マイ・ウェイ”。童顔や、その語り口からはほんわかした印象を受けるが、実は自分なりの信念をもっている。
 試合中も口をキリっと結んだ表情をすることが多く、芯は強そうだ。
 こんなことも言っていた。

 「“押せ! 押せ!”という性格でもないから、無理だなと思ったら引きます。ルーズボールの話に例えると、転がってきたボールに自分が行って、取れると思ったら行きます。
でも80%ぐらいで相手が取れるなって思ったら、引いて、そのディフェンスをして守るほうを選ぶ。コーチから見たら『取れよ!』ってなると思うんですけれど、自分的には自分の考えがあってやっているんで」

 もっとも、何にでも強気で自分のやることにすべて自信を持っているかというと、そういうわけでもないようだ。失敗することが怖くて、失敗するたびに落ち込むのだという。

 「プレッシャーに弱いんです。めっちゃ“チキン(臆病)”です」と自ら認める。自信と弱気が、コインの裏表のように交互に顔をのぞかせる。
 「ハンドリングは誰にも負けないと思います」と断言したと思ったら、「でも、試合ではプレッシャーに弱いからポロっと(ボールを)落としたり」と続ける。
 さらに「でも、スキルメニューだったら、たぶん誰にも負けないと思います」と言って、フフっと笑って見せる。その振り幅が面白い。
 そんな池松を叱咤激励して支える森田ACは、「不思議ちゃんですよね」と苦笑し、「(よく落ち込むのは)たぶん完璧主義なんだと思います」とも分析する。

 11月に始まったシーズンは4カ月間続き、3月16日に終わりを迎えた。

 故障でシーズン終盤に1試合欠場した以外、32試合にスターターで出場した池松は、ほとんどの1年生選手がそうであるように、波のあるシーズンを送った。
 3Pシュートが面白いように決まり、2試合続けて6本、7本の3Pシュートを決め、23点、25点をあげたこともあった。
 これには、ブスカリアHCも、「シュートを打てるというのはわかっていたけれど、思っていたより早く決められるようになった」と感嘆する。
 逆によくないときは、1試合に5本以上のターンオーバーを犯してしまうことがあった。チームを落ち着かせ、まとめる役割のポイントガードとしては大きな課題だ。

 それでも、常に必死に努力し、成長しようとしていた。
 ブスカリアHCは言う。
 「うまくいかないときもあったけれど、彼女はいつでもすぐに立ち直っていた。苦戦したときでも、その次の試合では戻ってきて、戦う準備ができている、そんなメンタル面でのタフさを見せてくれた」

 森田ACも同じように、池松の頑張る姿勢を評価する。
 「彼女が一番いいのは、バスケットを好きで、うまくなりたいと思っているところ。
完璧じゃなくて、今はまだすごくアンバランスな状況でも、頑張って、ちょっとずつ前進している」

 それだけ成果があった大学1年目だったが、終わりはほろ苦いものになった。
 シーズン最後から2番目の試合となったNECカンファレンス・トーナメント決勝では、ライバルのセント・フランシス大に敗れ、目標としていたNCAAトーナメント出場を逃した。
 そして、シーズン最後の試合となったNITのトーナメント1回戦では、シュートが入らなかっただけでなく、ターンオーバー5本を犯してチームの足を引っ張って敗退。

 「シーズン通してポイントガードのスターターとしてやってきたんですけれど、ああいう終わり方をしたのは悔しかったです。
相手がどうとかでなくて、自分の気持ちの面だったと思います」

 悔しさは、来年へのモチベーションになる。シーズンを振り返ると、苦しいことも、厳しいこともあったが、それでも、アメリカでバスケットボールができるという楽しさがすべてを上回ったという。

「アメリカでの試合は初めてだったから、すべてが新鮮だった。厳しかったし、苦しかったりしたけれど、楽しかったが一番ですかね。
慣れてくると、ポイントガードとしても少しは話せるようになった。
あとは自分のフィジカルのなさを学んだり、自分のできることとできないことを見つけることができたと思います」

 シーズンが終わった後に、アメリカの大学バスケットボールの現実を見せつけられる出来事があった。
 NECトーナメントで敗れた相手、セント・フランシス大が、NCAAトーナメント1回戦で、女子大学バスケ界最高峰のコネチカット大と対戦し、52対140と、歴史的な大差で敗れたのだ。

 「びっくりしました。そこに負けた自分たちは何なんだ、という感じでした」と池松。
 「でも、そういうところと対戦できる可能性もゼロではないっていうことは、何か嬉しかったです」

 苦しさ、厳しさのなかにやりがいがあり、楽しさがある。開幕戦で感じたようなワクワクする気持ちで、来シーズンを心待ちにしている。